ついにダウンか!?

1歳三女にまだ授乳しているワタシ。
夜中も何度も目を覚まし、オッパイを飲んでは再び寝るというリズムの三女。
いつものように夜中の授乳で目を覚ました私は
「なんかオッパイが痛い。。。そして熱っぽい。。。」
ことに気付いた。
嫌な予感がした。
そして翌朝。
ひどい寒気と悪寒、だるくて動けない。
そして片方のオッパイが痛い!
熱を測れば38度を超えている。
今までの経験上、これは完全に乳腺炎だとわかった。
子供達も目を覚ましたので
「ママ、乳腺炎になったみたい。お熱があるから寝かせておいて」
とお願いした。
この日は土曜日で学校はお休み。
9歳長女は
「ママ、今日は寝てていいよ!私が全部やるから!」
と頼もしい返事。
4歳次女は
「ママ?お腹空いた?。早く朝ご飯作って?」
と私の声は聞こえていない模様。
「学校の日は起きてもすぐ食べないくせにー。休日だと朝から食欲あるんだよなー」
と思いながら4歳次女のために渋々朝ご飯を作り、盛り付けと片付けは9歳長女にお願いした。
病院へ行くべきか迷ったが、タイに「母乳マッサージ」なんてものがあるのかわからなかったし
強い薬を処方されて断乳するのも嫌だった。
私は横になりながら「困った?困った?」とつぶやいていた。
そして土曜日はモック先生のタイ語の日。
「今日はお休みします」の連絡を入れたいのだがなかなか繋がらない。
やっと繋がったのはモック先生が来る予定時間の15分前。
「今日は私が熱があるから勉強はお休みさせて下さい」
と連絡を入れた。
「今から出るとこだった」
と言うモック先生。
連絡がギリギリになってしまったのは申し訳ないが、繋がらなかったのだから仕方ない。
モック先生は
「病院へ行く?」
と聞いてきた。
私は
「今日は土曜日だから病院はお休みだし、家で様子を見る。」
と答えた。
モック先生は
「病院は一年中休みなしでやってるから、行った方がいい。連れて行ってあげるから!」
と言ってくれた。
確かに、乳腺炎は寝てても治らないし「もっと悪化したら」と不安ではあった。
しかもこの高熱で1歳三女をおんぶして自転車で病院まで行くのは不可能だった。
私は病院へ行くつもりはなかったが、何だか突然
「病院へ連れて行ってもらえる?」
と言っていた。
モック先生は
「今からそっちへ行くところだし連れて行ってあげるよ」
と言ってくれたので、私はお願いすることにした。
急いで準備をする。
留守番できない子供達も連れて行くため、子供達にも準備を急かす。
「モック先生、すぐ来るから!待たせちゃ悪いから!」
と大急ぎの我が家。
そしてモック先生が来る前に準備完了。
なのに。。。
モック先生、来ない。。。
車で10分くらいの距離なのに。。。来ない。。。
「今から出る」って言ってたのに。。。来ない。。。
待つのもしんどい私と待ちくたびれる子供達。
そして待つこと30分。
やっとモック先生到着。
またしても両手に鍋を抱えて登場。
「おかゆ、作ってきたから!」
と、9歳長女の時より、更に大きな鍋で、大量のお粥を作って来てくれた。
乳腺炎1
「お粥のせいで、こんなに遅かったのね」と納得。
感謝感謝である。
そして病院へ向かう。
私は、病院で降ろしてもらい帰りはサムローで帰ろうと考えていた。
しかし、モック先生が病院まで一緒に来てくれると言う。
私が断っても「時間はあるから」と言うので、お願いした。
病院へ入り、診察を待つ。
休日は時間外だから平日より空いている。
9歳長女のときと同様、「時間外ってステキ?」と思う。
ほとんど待たずに私の番になった。
私は症状を伝え「乳腺炎だと思う」と話した。
「授乳を辞めたくないので、授乳できる薬はありますか?」
と聞いた。
お医者さんは少しの間、薬について調べてるようだった。
「授乳中でも飲める薬があるかな!」
と、ちょっと期待していたのも束の間。
そして私が恐れていた返事。
「お薬を出します。この薬を飲んでる間は授乳は中止して下さい。
薬は5日分、飲み終わって丸一日経ったら授乳してもいいです。」
と。
ガーン(T_T)ダメじゃん。。。
トータル一週間も授乳出来ないなんて、1歳三女が我慢出来るはずがない。
これは断乳を意味する。
突然の断乳なんて、私も覚悟が出来てなかった。
診察が終わり、とりあえず薬を受け取りつつ、薬を飲むべきか悩んでいた。
するとモック先生が
「オッパイを温めるようにお医者さんが言ってたわよ。タイのハーブを使ったタイの伝統的な治療法が
あるからそれを買いに行きましょう」
と、病院内にある自然薬品の店へ連れて行ってくれた。
中に入ると「薬局」ではなく、なんと「タイマッサージ」屋さんだった。
病院内にタイマッサージ屋があるとは!
高熱でフラつきながら
「今度旦那がタイに遊びに来たときココへ連れて来てあげよう」なんて、考えていた。
そしてモック先生とお店の人に紹介されたものがコレ。
乳腺炎3
見た目「デッカイみかん」のようなこの物体。
中に薬草が入っている。
これを蒸気で温め、患部に当てる。
ハーブだけあって、香りはキツい。
柑橘系と湿布の匂いが混ざったような香り。
とりあえず試してみることにした。
そして車へ向かう最中のこと。
モック先生が
「あなたの娘は腸炎になるし、あなたは乳腺炎になるし、子供達もよく風邪を引く。
健康を叶えてくれるお坊さんがいるから今からそこへお参りしに行きましょう」
と言う。
「げっ!今から?」
高熱とオッパイの痛みで、一刻も早く横になりたかったワタシ。。。
寒気と頭痛の中、ずっとおんぶしてる1歳三女を早く降ろしたかったワタシ。。。
今から何処かへ出掛けるなんて。。。む、無茶です。。。
拝んだところで乳腺炎が治るわけじゃないし。。。
しかしモック先生
「すぐ近所だから」
と行く気マンマン。
仕方なく車に乗り込み、モック先生に従う。
家とは逆方向へ走る走る走る。。。
「どこまでが近所なの?」
って言うくらい町からどんどん離れて行く。
周りの景色は畑のみ!
この先にお寺があるとは思えない!
更に走る走る走る。。。
そして今度は山の中。
早く帰りたいよ?と心の中で叫んでるうちにやっと小さなお寺に到着。
シーン。。。人の気配ナシ。
私が今まで連れて行ってもらったお寺とは様子が違う。
お寺から少し離れたところにいくつかの小屋がある。
モック先生はお寺ではなく、一つの小屋に向かって歩き出した。
そこの小屋には洗濯物がかかっており、人が住んでいる様子。
そう。ここはお坊さんの住み処だったようだ!
「お坊さんって、こんな山の中で生活してるんだ」
と初めて知った。
かなりボロボロの小屋。最低限の生活用品。
修行って大変なんだと思った。
そしてお目当ての小屋に到着。
しかし、人の気配ナシ。
留守のようだ。
少し離れた隣の小屋に住むお坊さんに様子を聞きに行ったモック先生。
すると
「お坊さんは今ラオスに行ってるって。3日間帰って来ないみたい。」
とガッカリしてる様子。
「いやいや、私の方がもっとガッカリだわ?!高熱の中、わざわざ来たのに?!」
と返事も出来ないワタシ。
仕方なく、隣の小屋に住むお坊さんに何やら拝んで貰った。
「また今度来ましょう」
とモック先生。私は
「ようやく家に帰れる?」
とホッとした。
そして、帰路の途中。
しゃべるのも辛い私に
「この近くにキレイなクジャクがたくさんいるお寺があるのよ。子供達は絶対見た方がいいわ!」
と、クジャクのお寺について延々と説明をしていた。
その度に子供達に通訳する私。
「私、クジャクなら日本の動物園で見たことあるよ。気持ち悪かった。」
と冷めてる9歳長女。
しかしモック先生が
「今からご飯を取りに帰って、ご飯を持ってクジャクのお寺に遊びに行く?」
と誘ってきたときは
「行きたーい?」
と言い出す娘達。。。
私は呆れながらも
「具合が悪から今日は行きたくない。家に帰って横になりたい。」
と返事した。するとモック先生、
「おーお!」
と、まるで私の体調不良を「今初めて知りました」かのような反応。
「。。。」
なワタシ。
クジャクのお寺は「また今度」ということになりしばらく車を走らせる。
すると急にモック先生は車を止めた。
「ここを曲がると○○と言うお寺があるのよ。行く?」
と言う。
ホンッとにお寺好きなのね、タイ人。それともモック先生だけ?
私は
「今日は具合が悪いから行かない」
とキッパリ言った。
またしても
「おおー!そうか!」
みたいな返事。勘弁して下さい。。。
やっとの思いで家に着いた。
モック先生は「ウサギの餌を持ってくる」と一旦帰りまた来るらしい。
すると大家さんが「どこへ行ってたのか?」と外へ出て来た。
なかなか家に入れないワタシ。
「私が乳腺炎にかかり具合が悪いんだ」
と話すと、大家さんは9歳長女に向かって
「しっかりお母さんの手伝いをしなさい」
と厳しい顔で言ってくれた。
何だか嬉しかった。
やっと帰宅できたのは昼近く。
「お腹空いたコール」の子供達にモック先生手作りのお粥を食べさせ
私はすぐ横になった。
すると、9歳長女の友達チャンティがやって来た。。。
実は前から土曜日に遊ぶ約束をしていたのだった。
「ママが具合悪いから今日は断ってね」と言っていたのだが、チャンティに電話が繋がらず
連絡出来ないままだったのだ。
「チャンティだけなら私は寝てればいいや」
と思っていたら。。。甘かった!
弟のシャッカー&お母さんのリーも揃って登場!
これじゃ寝てられない。
「とりあえず挨拶しなきゃ」と外へ出た。
リーに、私が具合悪いことを告げたが帰る気配はない。
そのままお喋りタイムスタート。
しばらくするとモック先生がウサギの餌を持って再登場。
お喋りに合流。
またしばらくすると今度は大家さんが登場。
お喋りに合流。
乳腺炎の痛みと寒気で震える中、総勢9人も集合してしまった我が家。。。
乳腺炎2
もう私は諦めた。。。
タイ人は本当にお喋りが大好き。
初対面だろうが何だろうがよくしゃべるしゃべるしゃべる。。。
私の乳腺炎のこと、薬を飲んだか、いくらかかったか、いろいろ聞いて来る。
「授乳中だから薬を飲むべきか悩んでる」ことを話すとリーはこう言った。
「母乳は赤ちゃんにとって体にも脳にもいい。だから薬は飲まずに母乳をあげた方がいいと思う。
タイ人は早くに授乳を辞める人が多いけど、私は3人の子供達に3歳半まで授乳してたわ!」
と。
3歳半とは私もビックリ!
そして、素晴らしい!
と思った。
私も出来るだけ母乳を上げたい派だったので、リーの言葉を聞いてとりあえず今日は薬を辞めようと決めた。
明日もっとひどくなってたらまた考えよう、と。
タイでは、早いうちに母乳を辞め生後3ヶ月から離乳食を開始するらしい。
そんなタイの育児事情もあって、私が1歳過ぎてる三女に母乳をあげてることに驚かれたり
早くやめた方がいいと言われることがあった。
三女がおしゃぶりをしているのを見て「良くない」と嫌な顔をするタイ人もいたくらいだ。
「何でタイ人は早いうちに母乳を辞めるの?」
とリーに訪ねたところ
「早く仕事がしたいから。あと胸の形も悪くなるから。でも私にとって胸の形なんて重要ではないわ!」
と明るく話す彼女。
さすがオージーの旦那さんを持つだけあって、タイ人っぽくない。
私は自分と似た考えを持つリーが嬉しかった。
お喋りがひと段落したころ、チャンティ一家は昼ご飯を食べに帰ると言う。
それに合わせて解散となった。
やっと横になれる?とホッとしたワタシ。
後片付けは9歳長女に任せ、夕方まで寝かせてもらった。
薬を飲まない代わりに、自分でマッサージしたり搾乳したり温めたりといろいろ試した。
その甲斐あって、少し体が楽になって来た。
夜になりやっと食欲が出て来たので、この日初めての食事を取る。
モック先生のお粥。
「日本で私が具合が悪いときに、人から食事を差し入れて貰うことなんてなかったな?。
旦那に何か買って来てもらうか、買い置きしてあるレトルトで済ますか、自力で作るしかなかったもんな?。」
なんて思いながら頂いた。
タイに来てから、本当に人の親切を感じる日々。
日本では、どちらかと言うと「閉ざされた」「孤立した」「孤独な」子育てをして来たワタシ。
核家族の典型だった。
誰も子育てを手伝ってくれなければ、周囲の子供に対する関心も薄かった。
私が困っているとき「お母さんを助けてあげなさい」なんて言ってくれる人はいなかった。
それが当たり前だと思っていた。
しかし、タイではうるさいくらい子供について、ワタシについて、口を挟んで来る。
他人を放っておけない、世話好きな国民性なのだろう。
そんなおせっかいな私の周りの人々に助けられるたびに、私のココロはとても温かくなるのだ。
この日、9歳長女は私と大家さんの期待に応えるべく、キュウリを切ったり食事の後片付けをしたり
妹達をシャワーに入れたり、部屋の片付けをしたり、よく働いてくれた。
寝る間際
「ああ?!今日はいっぱい手伝いしたから疲れた?!」
と言っていた。
「ママが大変なのわかる?」
と聞いたら
「うん。私には無理。」
と、家事の大変さを実感したようだ。
そして次の日。
ヤッター!熱が下がってる!
「マッサージと搾乳の成果だ!これなら自力で治せるぞ!薬を飲まなくて済む!」
と喜んだワタシ。そして
「ママ!元気になったの?よかったね!じゃあもう私は今日から家事しなくていいんだね?」
と喜ぶ9歳長女。。。
「ハイ。ママはもう動けますので。。。」
食事内容だけでなく、疲れや寝不足やストレスが原因で発症する乳腺炎。
最近特に食事が変わったわけでもないのに乳腺炎になるなんて。
これはきっと、留学ビザの準備から9歳長女の入院までずーっと忙しく動き回って来たせいに
違いない!
「体を休めなさい」と言う神様からのメッセージなのだろう。
その割には短すぎる「休み」な気もするが。。。
私の具合が悪くても、何だかドタバタしている我が家。
とにかく早く回復できて一安心なワタシである。
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