12/5はタイ王様の誕生日。
その前日、娘達の学校では「父の日」を祝う行事が催された。
舞台の上で、父へのメッセージを日本語で発表することになった9歳長女。
舞台の上でのダンスメンバーに選ばれた4歳次女。
私は彼女達の晴れ姿を見ることを、前から楽しみにしていた。
そして当日。
朝から緊張ぎみの9歳長女をいつも通り早朝に見送る。
ダンスの衣装を早く着たいとはしゃぐ4歳次女は、午後から登校するため私と一緒に学校へ行った。
13時スタート。
4歳次女を幼稚園クラスに連れて行った。
すると、舞台の袖で待機する9歳長女と遭遇。
私は発表する生徒達全員にエールを送った。
そして。
開会式が始まる。
吹奏楽やタイ楽器の演奏なども行われ、生徒父兄も全員起立で大合唱。
本格的な祝賀祭のようだ。
そしていよいよ「父へのメッセージ」が始まる!
壇上へ上がる順番待ち。
司会の先生が
「生徒たちによる父の日のメッセージです。英語、フィリピン語、日本語で発表します。」
と言った。
私は司会の先生の「日本語で」という言葉に胸が熱くなった。
何故だかわからないけど急に涙がこみ上げてきた。
しかし、泣いてるわけには行かない。
「娘の発表をビデオで撮る」という重大任務があるのだ!
私は胸にこみ上げるものをあえて無視してビデオの準備をした。
最初に英語での発表が始まる。
我が家にたまに遊びに来るチャンティがその担当だった。
次にフィリピン語での発表。
私はドキドキしてフィリピン語なんて耳に入って来ない。
そしていよいよ9歳長女の出番!
「転ばないか」
「マイクが響いてしまわないか」
「声が震えるんじゃないか」
些細なことまで娘を心配してしまうスーパー心配症なワタシ。。。
そして。
「皆さん、おはようございます。私の名前は…」
と自己紹介からスピーチは始まった。
「最後まで間違えずに言えますように」と祈る私の心配をよそに
とても堂々とした姿であった。
大きな声で、ゆっくりハッキリ、つかえることなく話すことができた!
よくやった!素晴らしいぞ!ママは嬉しいぞ!!
娘を褒めてあげたかった。
ビデオを撮っていたため、舞台を去る姿しか写真に納められなかったのが残念だが。。。
しばらくすると長女が私のところへ走って来た。
「ママ、どうだった?」
と興奮気味の長女。
「堂々として素晴らしかったよ!よくがんばったね!」
と返事した。
「緊張してるように見えなかったよ」
と私が言うと
「待ってる間はすごい緊張したけど、深呼吸してたら緊張がなくなったんだよ。
間違えずに言えたでしょ!」
と自慢気な様子。
この大役を成し遂げたことで、長女なりに自信が付いたようだ。
私もホッとしたところで、4歳次女の幼稚園クラスを覗きに行った。
出番待ちの子供達が遊んでいた。
タイでは、行事やお祭りのときは子供達もバッチリお化粧をする。
前日に「お化粧もしてオシャレして来てね」と先生から言われていた4歳次女に
私が家でメイクをしてあげたのだが、更に先生に厚化粧をされていた。
みんな七五三並みの厚化粧である。
そして私は4歳次女の出番が来るまで会場で待機していた。
各クラスの発表会が始まる。こんな様子。
そして4歳次女の出番。
幼稚園クラスだけあって、かわいいダンスであった。
日本では幼稚園に通っていなかった4歳次女。
人前で何かを披露するのは初めてのこと。
しかし、緊張してる様子もなく夢中になって踊っていた。
うちの4歳次女、度胸があるのか、それともまだ状況を理解する力が足りないのか
人前で動じない。
9歳長女と正反対である。
とりあえず、娘2人の出番を無事に終え、一安心。。。
その後も引き続き、高学年のタイ舞踊や。
タイ楽器の演奏など。
王様の誕生日祝いだけあって華やかだった。
が、お邪魔ムシの1歳三女がいては、ゆっくり鑑賞などできるはずもない。
発表を終えた高学年の生徒達に囲まれる娘達。
今のところ学年を問わず、我が娘達を構ってくれる生徒達。
日本人が珍しいからに違いない。
これからも、子供同志いい関係を築いて行って欲しいと願っている。
この「父の日」で娘2人はとてもいい経験をさせてもらった。
娘達にこういうチャンスを与えてくれた先生方には感謝の気持ちで一杯である。
私自身もこの学校の父兄の一員になれたことを実感できたし、いつもお世話になっている
先生方にあいさつとお礼もできた。
いい祝賀祭だった。
そんな気分に浸りながら、子供達の帰りの集会を見ていた時。
隣にいた友人のペンがポツリと言った。
「誰も黄色のシャツを着てなかったわねー。」
「。。。」
そうなのだ!
当日は、親も揃って「王様カラーである黄色のポロシャツを着なければならない」と
ペンは言っていた。
私はわざわざ自分の分まで、王室マークが刺繍された「誕生日限定シャツ」を購入したのだった。
しかもサイズが子供用しか残ってなくて、子供用Mサイズでかなりピチピチ。
サイズもデザインも全く似合わない「限定シャツ」を無理やり着て行ったのにも関わらず
学校に到着すると、誰も黄色の服なんて着ていない。。。
「なんだ。。。いつもの私服でいいんじゃん。。。」
ノリノリな外国人に見られてそうで若干の恥ずかしさを感じつつも
ペンには言わずにいたのだが。。。
この超チビTはもちろん9歳長女のものとなった。
こうして緊張と興奮と安堵の一日が終わった。
夜、私はベッドに横になりながら、振り返った。
司会の先生が「パーサーイープン(日本語)で発表します」と言った時
「イープン(日本)」と言う言葉になぜ胸が熱くなったのだろう、と。
「娘が発表するから?」
「娘が重要な役割を与えられたから?」
「タイでの学校生活が落ち着いて来たから?」
「この学校に出会えて嬉しいから?」
いろいろ考えたけど、しっくりこなかったし、今でもよくわからない。
タイでの生活、大変でもあり楽しくもある。
いろいろな人と出会い、助けられ、恵まれた環境にも感謝している。
でもふとした時。
日本を離れたこと、離れなければならなくなってしまったことを
寂しく感じている自分がいるのは間違いない。
愛国心の強いタイ人を見ていると
「ワタシだって日本が好きだった」と感じずにはいられないのである。。。
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