一年目の思い

タイに来て今日で丁度一年が経つ。
試行錯誤しながらも、無事にタイで一年間過ごすことが出来た。
私は一年前、日本を出発した日のことをよく覚えている。
日本に残るパパとの別れを惜しみ、出国ゲートを過ぎる私達に最後の最後まで笑顔で手を振り
見送ってくれたパパ。
パパへの申し訳なさと、子供達と無事にタイヘ辿り着かなければならないプレッシャーで
私にとっては楽しい旅立ちではなかった。
そして。
飛行機に乗ってバンコクへ着いた時のこともよく覚えている。
空港を出てホテルへ向かうタクシーから見えるバンコクの街並みに
「本当にここでやっていけるのだろうか。」
と不安だらけだった。
バンコク郊外には、今にも崩れ落ちそうな高層ビルが建ち、道路脇にはプレハブ小屋のような
民家があり、干してあるボロボロの色褪せた洗濯物から貧しさが伝わって来た。
市内に入ると、東京と変わらない都会ではあるものの、野良犬が歩き回り
その横で屋台の不衛生に見える料理を手掴みで食べてる現地の人々を見ると
私自身、馴染めるのか自信がなかった。
到着当日は、バンコクのホテルに泊まった。
景気ずけに、ランクのいいホテルにした。
チェックインしたのは夕方5時くらいだった思う。
移動の疲れで子供達は「ホテルから出たくない」と言い、長女と次女を
ホテルに残したまま、まだ0歳児だった三女をおんぶして外に出た。
まず両替をし、携帯ショップに行って携帯電話を使えるようにし、夕飯も買ってこなければならない。
土曜日の夕方だったこの日、デパートは大勢の人で賑わい、携帯ショップも混んでいた。
私はホテルで待っている子供達が心配なのと、空港からおんぶしっ放しの三女を
早く静かな所で休ませてあげたくて、気持ちばかり焦っていた。
ショッピングを楽しむ人々の中、赤ん坊を背負ってエスカレーターをかけ下りる私は
「微笑みの国」「マイペンライ(何とかなるさ。大丈夫。」なタイの精神とは
かけ離れていただろう。
デパ地下で、高価で味気ない惣菜を買い、足早にホテルへ戻ったのを覚えている。
部屋に戻ると
「ママ?!綺麗な景色だよ?!」
と待っていた子供達が教えてくれた。
しかし、疲れていた私は、乳飲み子のお世話をしながら子供達に夕飯を食べさせ
子供達3人を風呂に入れ、パパにスカイプで連絡、等やることが山積みで
高層階からの眺めを楽しむ余裕も、高級ホテルを味わう余裕もなかった。
そんな張り詰めた気持ちでやって来た一年前。
最初の4ヶ月は共同生活だったため、いいこともあったが気苦労も耐えなかった。
10歳長女も学校に慣れるのに時間がかかり、子供達のタイ語も上達せず
タイ生活が子供にとっていいものなのか自問自答の日々であった。
5ヶ月目になって、今の家に引っ越して来た。
家族水入らずで暮らすことができ、精神的負担が軽くなった。
大家さんを始め、新しい人間関係も少しづつ広がって行った。
そして。7ヶ月目。
二人の娘が転校した。
前学校と違って、先生も親切だし生徒達もうちの娘達を受け入れてくれた。
友達が増えるにつれて、娘達のタイ語がみるみる伸びて行った。
しばしば起きる我が家のハプニング。
「うまく行かなければ帰国の可能性もアリかな。」
と常に頭の片隅で考えてはいたが
「帰りたい。」とは思わなかった。
そして
「タイでもっと生きて行きたい。子育てをしたい。」
と心の底から思えたのはつい最近のことである。
一年目を迎えて、ようやくタイに愛着を感じ始めているワタシである。。。
一年前、来タイ当時。
1y1
一年後、現在。(体調不良の長女は写真撮れず。。。)
1y
ハイハイしていた三女は、小走り出来るようにまでなった。
子供の成長は目まぐるしい。
そんな精一杯成長している子供達に負けないよう
今日からまた一年、前進して行きたいワタシである。。。
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