無事に、バンコクでの、仕事、学校、家が決まった我が家。
そもそも、バンコクへ引っ越すことになったきっかけは、
「子供たちの今後のことを考えると、現在の学校では物足りないかもしれない」
「バンコクの学校の方がレベルが高いし、学校を選ぶ際の選択肢が多い」
「ビザのことを考えると、私が働いてワークパミットを取ることがベスト」
「バンコクに出れば、働ける可能性がある」
などの理由からであった。
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実は、タイではなく「ほかの国に移る」という案まで出てきた時期もあり、いろいろ情報収集してみたのであるが、バンコクに出るのがベストだという結論に至ったのが3カ月前のことである。
「どうせ転校するなら、来年の4月では遅すぎる!2学期から転校しよう!」
ということになり、ここ数カ月は、情報収集したり、バタバタと動いてみたり、喜んだり落ち込んでみたり、パパともいろいろ議論しながら過ごしてきた。
そして、バンコクへ出ることを決めた我が家。
引っ越しすることを、大家さんへ報告しなければならない。
我が家の子供たちを、孫のようにかわいがってくれ、私も心から信頼を寄せている大家さん。
私はしばらくの間、引っ越すことを、大家さんへ言い出せずにいた。
しかし、私の就職が決まり、バンコク行きが決定となったからには早めに大家さんへ報告しておかなければならない。
「なんて話そうか」
「どう言えばうまく伝わるか」
と辞書を引きながら、数日かけて言葉を探した。
そしてある日、私は、意を決して、大家さんへ引っ越しすることを伝えることにした。
私は大家さんに
「子供たちにもっと英語を勉強させたい。でも今の学校は英語に力を入れてない。だからバンコクの学校に転校したいんだ。」
と言った。
「引っ越すってことかい?」
と大家さんが聞いてきたので
「うん。家族でバンコクに引っ越そうと思っている。バンコクなら、日本人向けの仕事があるし、私も働くことができるから。」
と返事した。
大家さんは
「ノンカイにあるほかの学校を探せばいい。英語を教えてくれる学校ならたくさんあるだろう?いい学校があるか、誰かに、聞いてみるよ。」
と言った。
私は
「外国人は私立学校しか入れないの。」
「うちから通える私立学校は2つしかなくて、どちらも通ったことがある。ほかに転校できる学校が、もうないんだ。」
「そして、私が働きたくてもノンカイには仕事がない。ビザを取るもの大変なんだ。」
と伝えた。
しばらく考えた大家さんは、
「子供は成長している。成長するに従って勉強は大切になる。特に英語は大事だ。」
「○○(長女の名)は、もう小さい子ではないから、勉強が必要だろう。」
「○○(長女の名)が英語を勉強したいなら、転校したほうがいい。」
「△△(私の名)も仕事をしたほうがいいし、お金があればバンコクでも大丈夫だ!」
「働けばビザも取りやすくなるし、タイに長く居られるだろう。」
と言ってくれた。
つまり、「バンコクへ出なさい」と言うことだ。
正直、私は、引っ越しを告げたら、大家さんに反対されるのではないか、がっかりされるのではないかと心配していたのだが思いのほかあっさりと、バンコク行きを受け入れてくれ、後押しまでしてくれたので一気に心が軽くなった。
すっきりした私は
「本当はノンカイに居たいけど、いい学校がないし、仕事もなくて・・・。しばらずっと悩んでたんだ。」
と本音を言うと
「悩むんじゃない!悩むのは健康にもよくない!悩んではいけない!」
と大家さんに怒られてしまった。
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「悩むのは体にも心にもよくない」ことは私もわかってはいるが生きている限り、悩むのは当たり前だ。
しかし、思い返してみると「悩んでいるタイ人」を見たことがない。
特に、ここ田舎で暮らすタイ人は、「考える」ことはあっても「悩む」ことが少ないように見える。
そもそも「悩む」ことにエネルギーを費やすのは無駄だと考えるのか「悩む原因」がないのか、わからないが、とにかく私が悩んでいるといつでも誰からでも「マイペンライ」と言われてきた。
「タイ人から見たら、日本人は何でそんなに悩むんだ?って思われているのかもしれないなあ」
なんてことを考えながら、悩むのも馬鹿らしく思えてくるタイの日々である…。
転校先と家探しが済んで、バンコクから帰宅したしたときは
「学校が見つかったかい?」
と一番に聞きに来てくれて、、無事に見つかったことを伝えるととても喜んでくれた大家さん!
ノンカイの町は、私たちがタイで生活する出発点となった場所だ。
スタートは隣町で集団生活だったけど、この町に引っ越して、家族水入らずで生活を始めたここの家は、思い出がいっぱい詰まっている。
タイのことなど何一つ知らず、子供三人連れて、スーツケース一つでやってきた私にタイの文化、習慣、食、宗教などを一から教えてくれた大家さん。
もし、私のスタート地点がバンコクだったら、こんなディープなタイの生活を知ることもできなかったし、大家さんと出会えなければ、こんなにタイ人に親しみを感じることもなかったかもしれない。
日本では当たり前だった快適な暮らしも、タイでは手に入らない。
手汲みのトイレの生活、停電や断水で、電気や水のない生活、そんな不便な生活も最初は辛かった。
家の中にカエルが住んでいたり、大雨で風呂場の排水溝から水が逆流してきたり三女が室内に閉じ込められたり、長女が入院したり、我が家にはたくさんのトラブルがあった。
そのたびに大家さんに助けてもらい、私が困っているときも笑い飛ばしてくれた。
ここで過ごした2年半、何か特別なことがあったわけではない。
子供に何かをしてあげた訳でもない。
楽しく遊んで暮らしていたわけもない。
ただただ「必死に生きてきただけ」である。
何も残るものはない。
次女や三女は、ここでの暮らしを忘れてしまうかもしれないしバンコクの便利な暮らしにすぐ慣れてしまうかもしれない。
しかし、タイのドドド田舎で生活した経験は、今後の人生に役立ってくれると思うし私も含め、子供たちは「どこでも生きていける力」を身に付けた気がする。
不便だけど、その「有り得ない不便さ」が笑っちゃうノンカイの生活。
いい加減だけど、幸せそうなノンカイの人々。
大家さんを始め、ノンカイの人々との残り少ない時間を大切にしたいワタシである…。
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コメント
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素敵な大家さんに出会えて本当に良かったですね。
ぱこさんのブログを拝見してると必ずっていうほど大家さんが出てきて、そのたびに大家さんは本当に優しい方だなって思ってました。
あともう少しで引っ越しですね!
色々忙しいかと思いますが残りわずかなノンカイ生活をお子さま達と楽しみながら、良い思い出がたくさん出来ますように。。。
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まめこさん、こんにちは!
ブログを読んで下さりありがとうございます!
タイ人は親切な人が多いのですが、うちの大家さんは、
懐が広いというか、心が温かい方なのです。
私のタイ語は片言なので、言葉はうまく伝わらないし
大家さんが言っていることもすべて理解できませんが
言葉が伝わらなくて、人柄とか人間性って伝わりますよね。
私は大家さんといると安心するんです。
そんな人に出会えたのは、自分でも奇跡だと思います!
ぱこ