引越しの日がやって来た。
ついに、この家ともお別れしなければならない。
最後の荷造りを終えるために、早起きした私。
冷蔵庫を空にするため、残った卵で卵焼きを作り前日に作っておいたオニギリと一緒に朝ごはんを食べた。
この家での最後の朝ご飯をさっさと食べ最後の一仕事に取り掛かった。
山のダンボールにガムテープでふたをし、直前まで使っていたものをしまい込んだ。
あんなに散らかっていた部屋がガランとしてしまい、声が響くほど。
子供たちは、
「あっ」とか「わっ」
とか言いながら、響く音を楽しんでいた。
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新しい生活を始めるための引越しなのにやはり「引越し」は寂しい。
しかし、そんな気持ちに浸っている時間もなくアレコレと動き回っていると
「ハロー!」
と、ペンがやって来た。
近所に住むママ友だ。
ノンカイの学校を紹介してくれたのも、ビザの手続きを手伝ってくれたのも、車の購入を手伝ってくれたのも全部ペンだ!
ペンがいなかったら、今の生活は出来なかっただろう。
そんな、お世話になったペンが見送りに来てくれたのだ。
ペンは、
「何時に出発するの?もう引越しやさんが来てるわよ。」
と教えてくれた。
「引っ越し屋さんは9時に来てもらう予定だから引越しやさんが行ったら、私達も出発するよ。」
と私は答えた。
外に出ると、ペンの言った通り、引越しの車が来ていた。
そして、引越し屋さんを紹介してくれた、ママ友のリーもついて来てくれた。
リーは、長女のクラスメイトのチャンティのお母さんである。
昨日の夜は、家族で会いに来てくれた。
私達は長いことおしゃべりを楽しみ、子供達も一緒の時間を楽しんでいた。
そんなリーが紹介してくれた、引っ越し屋さんのトラックはピックアップトラックだった。
「ちょっと小さくないか?」
とパパと私はちょっと不安。。。
しかし、 引っ越し屋のドライバーもリーも
「大丈夫、大丈夫!」
と自信満々である。
「・・・これはきっと、超山積みにするつもりだな。」
とパパ。
タイの車は、重量オーバーなんて当たり前。
「これでもか!」というほど荷物を積んで走っている。
我が家の大事な品々も、あんな風にされてしまうのだ!
そんな不安を抱きながら、 ドライバーやリーにも手伝ってもらい荷物を運び始めた私達。
日本の引越し屋さんのように、スタッフはいない。
もちろん、全て自分達で積荷するのだ。
思った通り、かなりギュウギュウにされてしまったがなんとか、全ての荷物が積み終わった。
そして、ドライバーにバンコクの住所と連絡先を渡し運ばれて行く荷物を見送った。
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いよいよ、我が家の出発時間が近づいてきた。
大家さんともお別れだ。
私達は、前日に大家さんへ記念品を用意していた。
大家さんと一緒に撮った写真に、メッセージを添えてプレゼントしようと決めていたのだ。
「大家さん、ありがとう!」
とみんなで渡すと、大家さんは
「おお?!!!」
と驚き、いつにも増して大きな歓声を上げて喜んでくれた。
私の心の中は、大家さんへの感謝の気持ちでいっぱいだった。
いっぱい過ぎて、息苦しくなるほどだった。
大家さんへ伝えたい思いはたくさんある。
あんなことも、こんなことも、数え切れない思い出があって一つ一つにお礼を言いたかった。
しかし、私のタイ語はカタコトである。
うまく伝えることができない。
とにかく「ありがとう」としか、言えなかった。
そんな拙いタイ語であるが、大家さんに送った写真に写る。
娘と私の「満面の笑み」と、タイ語で書いたメッセージは、私たち家族みんなの気持ちを伝えてくれると思うし大家さんに伝わったと思う。
ここ数日は、引越し準備で忙しく、この町やこの町の人々と別れを惜しむ余裕もなかったが、同じタイにいる限りまた会えると思えば、寂しさも半減するものだ。
そんなことを考えているうちに、我が家の出発の時がやって来た。
私達は、ペンや大家さんに最後のあいさつをし一人一人、大家さんと握手をした。
大家さんは、何度も、
「バンコクに付いたら電話をくれ。写真も送るんだよ。」
と言っていた。
車に乗り込んだ私達は、
「ありがとう!」
と叫びながら、最後まで大家さんへ手を振り続けたのだった。
こうして大家さんを始め、我が家の次にこの家に住むメーキティ、ママ友のリーやペンに見送られて、この町を後にしたワタシである。。。
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